歩行力の低下を防ぐ。ついで散歩を習慣化。昨日と同じように、今日もついでにちょと歩く!
長年歩いてきたが、昨年かぎりで長い歩き(ロングウオーク)をやめることにした。
どこか肩の荷がおりたようで嬉嬉としたものがあったが、かわりに覇気がゆるんだ。
そう実感する。それから6ヶ月が経つ。
これまでは長いもので、20~30キロ。ここ数年は8キロ~14キロほどを目途に歩いてきた。
体力よ「がんばれ」と叱咤激励すれば、それなりに歩けるが、そういう「がんばる」のを」やめた。
そんなことで、人ごとに、「何かかわりましたか」と問われるケースが多い。
歩行力の低下を防ぐ。ついで散歩を習慣化。昨日と同じように、今日もついでにちょと歩く!
そうして、分かったのだが。
やめた途端、てきめんに歩行力が低下した。これまで通り歩けなくなった。
この落差と言ったら酷いもの!
体力もそうだが、気力もまた、比例するのだ。
でも、人間ててそんなもんですね。」
実際、足も痩せた。筋力も確実に落ちた。
精神的にはそうでもない気がするのだが。
それにしても、甘えさせたら、このざまだ。
ヤバいぞ!と、心がつぶやく。
これまでもっていた自信が大きく揺らいだ。
と、いっても、大っぴらにいうこともないが、とうとう傘寿(さんじゅ)になった。
これから年を取るごとに足弱になってゆくのは必定の覚悟。
それに拍車をかけることになりかねない現実。
くわばらくわばら!
動かないと(歩かないと)筋力が衰えるのだそうで、筋力が衰えるため、さらに動くのが億劫になり、さらに衰える。
これが、医学でも言われる肉体がたどりやすい悪循環の典型とされます。
こうしたリアルには陥りたくはない。
そこで、新年に、そのための習慣作法を祈願した。
これから年を取ってゆく身でもできる、散歩。
ほどよく体力維持するに、いい運動だ。
そう肩肘立てなくとも、うまくゆけば、ぎりぎりまで、一生続けられそうなのが、いい。
散歩はこれまでもやってることだが、それを習慣化することにした。
そんなことで、明治神宮に初詣した。
で、ついでに、広い神宮の森を一巡散歩した。
「ついで」の習慣化が大事と脳裏に刻んだ。