雪国越後の文人、鈴木牧之の『秋山記行』・塩沢を歩く
~牧之のふるさと・塩沢~

ほかのところで、中途半端になっていたものを、書き直して掲載します。歩いてから時間が経っていますが、ご了承ください。最後まで何とか書き進めたいとおもいます。 |
牧之のふるさと塩沢宿から始めます。何回で終わるかはいまのところ分かりません。 |
~表敬訪問で鈴木牧之のふるさと、越後塩沢の町を訪う~
三国街道の宿場町


秋山郷について多少の知識がある人なら、たいてい、ほのかな秘境感をおぼえるのじゃないでしょうか。わたしも、そうだった。
ーー越後塩沢から秋山郷のほうへ入る。
と、この旅のことを町の観光課の人に問い合わせると、丁重にいうのだった。
「塩沢にもいらっしゃってくださいね」
ちゃんとPRにも余念がない。
その塩沢にいる。

江戸時代の塩沢は三国街道の宿場町だった。

鈴木牧之が『北越雪譜』にいうところの、まさに雪国である。
とはいえ、雪季を除いたら、藩政時代ではどこにでもあったつましい田舎町であったろう。
その雪国で雪風土にこだわった鈴木牧之。
秋山郷の存在を世に広めるきっかけを作った鈴木牧之という文人と、その著『北越雪譜』。
並んで名高いのが『秋山記行』である。
これからその『秋山記行』の道程をたどろうとするにあたり、牧之に敬意を表しようと、あらためて塩沢の町を訪れた次第なのである。


ここ塩沢はその牧之の生まれ育ったふるさと。
三国街道が町の真ん中を真一文字に東西に通じており、清水街道が交わり松之山街道が分岐することから、古くから交通の要衝として発展した。中で三国街道は佐渡への重要な道だった。


塩沢町 新潟県の南部、南魚沼郡の町。平成17年(2005)10月1日に南魚沼市に編入合併したため消滅した。周囲を2,000m級の山々に囲まれた、魚沼平野の中心にある。

南魚沼市 平成の大合併により南魚沼郡の六日町、大和町、塩沢町の3町が合併して誕生した。市役所は六日町におかれている。
*三国街道 群馬県の高崎宿で中山道から分かれ、長岡市の寺泊宿まで35の宿場をもち、塩沢宿はその22番目にあたっていた。群馬と新潟の境に三国峠がある。上杉謙信の関東遠征で利用され、江戸時代には長岡藩、与板藩、村松藩などの参勤交代に利用された。
*松之山街道 高田藩の城下町・越後高田と塩沢宿を結ぶ古道で、上杉謙信の軍用道として知られる。十日町市菅刈から薬師峠(同市真田)までの区間は、文化庁の「歴史の道百選」に選定されている。
*清水街道 国道291号のうちの、点線国道で有名。清水峠(1,448m)がある。古くからの上州と越後を結ぶ重要ルートで、上杉謙信が関東出兵の際に峠越えをしたと言われます。
*早道場通り 国道に下る道。清水峠を目指す近道だったからそう呼ばれたという。
雪国ならではのクラシックアーケード~雁木の町・塩沢「牧之通り」
雪国の生活が生み出した雪中期の通路となった「雁木」と宿場町を再現した町並み。塩沢の生んだ文人・鈴木牧之にちなみ「牧之通り」と名付けられた。


牧之通りを歩く
平成22年(2010),江戸の宿場町を復活させた「牧之通り」の町並みができた。
電柱の地下化が実現されているので、街道に立って空を仰ぐと、天空が広々と感じられ、実に清々しい気分になる。江戸時代とかわらない空なのかもしれない。



大商家・鈴木家の長男

鈴木家は、この雁木に沿った町の一画で主に縮布の仲買を営んでいた。

牧之の生家跡は今も三国通りに残る「鈴木酒店」。

牧之通りの中ほどにある「吉野屋」が鈴木家の本家。ここから牧之の父・恒右衛門が分家し、「鈴木屋」の屋号で縮の商などを稼業(のち質屋・酒造.薄荷)としていた。
*塩沢の薄荷 塩沢は薄荷草が多く自生するところで、薄荷は塩沢の名産の一つでした。三国通り沿いには何件もの薄荷屋が並び、店の前には大きな看板が立てられました。
鈴木家も商っていました。店先に掲げていた看板は何んと石川雲蝶の手掛けたもの。薄荷の商いをやめてからは、菩提寺の長恩寺に寄贈されたそうです(非公開)
このように鈴木家は塩沢の富裕な大商家でした。牧之はその商家を受け継いで祖父以上に財をなしました。

三国街道を往来する各地の文人が鈴木家に立ち寄り、父・牧水は彼等と交流したところから、牧之もその影響を受け、幼少のころから俳諧・書道・漢詩・絵画などをたしなんだという。

しかし商一辺にとどまらない性格の牧之は文芸にも深く手をそめました。
だが、文筆を得意としながら、あくまで本業は縮の仲買商。文筆業は商いの傍らで続けたもの。しかし江戸の一級文人たちとも交流をもち,それは趣味の域を越えたものだった。
その才能には抜きんでたものがあり、そうして培った素養が後に大きく花開き『北越雪譜』、『秋山紀行』の名著を生むこととなった。
そのあたりの経緯や人物像などに関しては多くの評伝がありますので、ここでは省くことにします。

欅の梁。鈴木牧之が生活していた当時の家屋遺構はこれだけ。時を経て艶やかに黒光りしている。

鈴木家が解体に及んだとき、この梁など数本が残されたものらしい。どうしてもっと多くを残すことができなかったのであろう。何とも惜しいことをしたものだ。多くは建築材として再利用できたものであったろう。



塩沢絣が有名な織物の町。コシヒカリを育む魚沼平野の豊穣な町。

牧之の次男・弥八(平野屋)の老舗を受け継ぐ青木酒造。代表酒「鶴齢(かくれい)」は牧之が名付けたと伝えられています。
*青木酒造 http://www.kakurei.co.jp/
青木酒造で造られているお酒の中には、限定品ですがブランドの「牧之」があります。
早道場通りあったも木造の建物。織物工場でしょうか。


街角で見かけた野外の民具コレクション!

牧之の眠る寺



三国街道の牧之通りをさらに行くと右手に長恩寺があります。
由緒沿革
『法然上人の弟子光明房が竹俣に草庵を結び、信受庵と称した。(年歴不明)その後天文元年(1532)五月中興岌鎮和尚の時現在地に移り一宇を再建し、信受山果號院長恩寺と称した。慶長十八年(1613)「為寺領荒地之内高五拾石出置候云々」との山田隼人署名の古文書がある。三世岌善和尚の時、高田城下に兼帯所を分寺、安養院と号した。後代高田の長恩寺である。
天和三年(1683)境内に塔頭専修院、一行庵、称名院の三庵があったが、百二十余年後に称名院を、一行庵は明治初期に取り毀し、二十八世孝譽代にその跡に宝蔵を建築した。現鈴木牧之記念館がそれである。又専修院も第二次大戦後取り毀し、現在稲荷社がある。
現本堂再建は安永元年(1772)起工、同七年六月入仏式、二十三世捜誉代、三十世代忍挙代に本堂の瓦葺工事が完成した。山門は元禄十五年(1702)十七世一誉円応和尚が建立した。梵鐘は戦時中供出したが、戦後三十八年五月宗祖七百五十年御遠忌の際復鋳今日に至る。』
「新潟県寺院名鑑」より


鈴木牧之の墓
民俗学の一級と評され、紀行文、風土史、また体験紀行とも評される「北越雪譜』、『秋山記行』の名著をもたらした人物がここに眠っている。何かがぎっしり詰まったように、どっしりとした墓がある。
作家・石川淳に『諸国畸人伝』 (中公文庫)というのがある。
中で、作家はいう。

牧之の生活上の心得は忍の一語に尽きる。當人がこのことばを手記にも書き,このことばをもつて子女をもいましめてゐて、忍は日常の監戒となり、生涯の信条となった。(略)忍の一語を充實させるような人間内容と生活事實とがそこにあった。しのぶ。牧之はまさに家事にしのび、商賣にしのび、雪にしのび、雪譜起藁の日から上梓の日に至る三十年といふ時間の長さにしのんだ。老練な商人。また篤実な家長、このような人物が定着せる觀測者として地元に配置されたことは、北越の雪の歴史にとって幸便なめぐりあわせであった。しかし、雪譜を通じて光ってゐる生活者の目はまた風流人の目でもある。積雪數丈の下にも、この人物のこころをあそばせるやうな風流生活はなほありえた。
石川淳『諸国畸人伝』
長々と書きましたが、実にそういう人の墓です。
『秋山紀行』の出版を頼まれた十返舎一九が天保2年(1831)に亡くなったことから、すべては宙に浮いてしまった。それから11年後の天保13年(1842)5月、牧之は『秋山記行』の完成をみることなく死去してしまった。享年73歳であった。25年後に日本は明治維新を迎えた。

『北越雪譜』二編 巻一(鈴木牧之著、天保12年(1841年)刊)

雪の結晶の図。『北越雪譜』初編 巻之上(天保8年(1837年)刊)より
駅へと戻る途中で、『鈴木牧之記念館』をおとずれた。
『北越雪譜』の出版に生涯をかけた鈴木牧之を紹介するため平成元年 (1989)に開館したもの。.
鈴木牧之記念館

昭和36年、牧之の菩提寺である長恩寺の経蔵(1階)を借りて、旧鈴木牧之記念館が設立されました。
その後、一般に広く観覧してもらうため、平成元年5月4日に現在の場所に鈴木牧之記念館は移設されました。
別名「雪の文化館」とも言われ、新潟県産のスギ材を多用した克雪型大規模木造建築で、雪国特有の「せがい造り」を取り入れ、特殊山形フレーム構造、天井空間を広げ、木組みの美しさを表現しています。(鈴木牧之記念館案内より)
内覧撮影は禁止です。

北越雪譜の中で広く知られる銘文が大きな自然石に刻まれている。
雪中に糸をなし、雪中に織(お)り、雪水に洒(そゝ)ぎ、雪上に曝(さら)す。雪ありて縮(ちゞみ)あり。されば越後縮は雪と人と気力(きりょく)相半(あいなかば)して名産(めいさん)の名あり。魚沼郡(うをぬまこほり)の雪は縮(ちゞみ)の親(おや)といふべし
石碑文
駅近くに織の文化を発信しているところがありました。
織の文化館・塩沢つむぎ記念館

(株)南雲織物工場が運営する民間の記念館。塩沢の織物の布工芸品が展示・販売されている。


染め上がりの自然な風合いがいいですね。

オリジナルの小物づくり体験もできます。


ぐるっと塩沢を歩きました。小さな旅。いい旅でした。
次回、牧之は旅立ちます。わたしも旅立ちます。