いろんな街々・町歩き!自分の感性と個性と好奇心を基に歩いてみましょう!

これって、自分時間を自分流で歩ける、日常から入れる、だれでも取り込みやすいWalkですね。

歩いているうちにWalkになっちゃうような、ウオークマジックですね。

いつのまにか、こんなところまで来ちゃた。というのが、そうですね!

新宿区神楽坂

つまり散歩より自分度が勝り、町を自分の好みでズームアップしたり、ディープに探ったりするカルチャーな一面がありますね。近年は全国的に「町歩き」に取り組む自治体も増えています。

ウォーキングや散歩と肩をならべ近年、「町歩き」、「街歩き」、「まち歩き」といった、つまり「タウン・ウォーキング」が盛んになりつつあります。

町を歩き、街を歩くことで、特別にこれという定義があるわけではないのですが、ウオーキングと散歩、その中間、ほどよいのがこれかな。わたしは、そんな風にとらえています。

ときにブラブラ、ときにスタスタ。

しかし歩きにひとスパイス、隠し味のようなものを加えるといい味になる。

感性、個性、好奇心といった自分目線でまちを様々に切り取ってゆく、なにごとかを発見してゆく。

普段は何気なく通り過ぎてしまうまちでも、いつもと違った視点を通して歩いてみる。

普段日常で使っていない五感を意識的に駆使してみる。

すると、そこから見えないものが見えてくる!

まちを深堀しながら歩くテレビ番組に「ブラタモリ」というのがありました。

あのフレームワークはあっぱれ、目から鱗でした。あれっぽいことを真似する人もいて、以来、まち歩きの色合いが少し変わったようにおもいます。

さて、ここで、「町」と「街」のが違いについてです。

町」と「街」は、ともに「まち」と読む異字同訓で、『広辞苑』をはじめ多くの国語辞典では「まち」という言葉に基本的にあてられる漢字は「町」で、「街とも書く」と補足されている場合が少なくありません。多くの辞書では、

*街 商店のたち並ぶにぎやかな街路や区画をいう。

*町 人家が多く集まっているところや、そこに商店やビルが混在しているにぎやかな通り。

とありますが、ほとんどニュアンスですね。そのあたりの匙加減は人それぞれでいいのでしょう。

新宿、渋谷のような賑やかなところは「繁華街」で、対して下町の「門前仲町」といった違いほどにとらえており、わたしはしっかり区別しています。

もっとなら日常を非日常の時間にかえ、旅人のような心気分や目線で歩いてみましょう!

中央区人形町・甘酒横丁

もうひとつまち歩きで言えることは、日常をやや離れて、非日常の時間を、旅人のような気分や目線で歩けることですね。日常と非日常の間をさまよう。まちに溶け込み、時の支配から解かれ,自由になる。

散歩にも似ているのですが、散歩とは異なり、ちょっとした旅気分が味わえます。

気の向くままに歩いても、そこには五感のようなものが自然と働きます。

視点のもちようによって、変幻自在!そこにまち歩きのリズムが生まれます!

わたしは、いつ、どんな時にも訪れるまちにわくわく感を覚えます。気まぐれに自分の足で歩きはじめるときのトキメキ!

「旅」するようなニュアンスのトキメキ。遠くなればなるほどその思いが濃くなります。

わたしと同年で、敬愛する川本三郎さん。

映画評論家や文芸評論家として活躍されていますが、町歩きの達人で、その手のエッセイイストとしても有名ですね。彼の町歩きエッセイはどれもいい。で、エッセイの中で彼はいつも「旅人」です。

わたしと同じ時代の空気を吸っているので、書くものどれもこれも、共鳴すること大です。

そういえば川本さんも「町」と「街」を区別するとして、それもほとんどが「町」だと書いていたような。

その彼はいいます。

「私にとって、町歩きとは、あくまでも「古い町」に出会うことである。」

川本三郎『東京暮らし』(潮出出版社)

いいコンセプトですね。わたしも同感します。およそ、これが芯になっているのでしょうが、実に感性豊かな稀有な町歩きの達人です。
彼は都内でも旅気分で泊まっちゃうんですね。

川本三郎のエッセンスをちょっとだけでも取り入れられたら町歩きが楽しく豊穣なものになるでしょう。沢山のエッセイが出ていますので、いつかまとめて紹介したいと思います。

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