ポタリング紀行/日本一の大河367㎞をゆく~チャリ膝栗毛/ 信濃川・千曲川~源流遡行(4)-1

今回の歩みは、

津南~森宮野原~信濃白鳥~桑名川

上野から上越新幹線で湯沢駅へ。

湯沢駅から路線バスで「津南役場前」へむかう。

津南までは乗って1時間ほどだ。

越後塩沢の人。江戸時代の文人・鈴木牧之の記した『秋山紀行』の道程をたどるため何度も秋山に赴いたが、そのつどいつもこの路線に乗っていた。

津南役場前で下車。津南駅までタクシーに乗る。

津南駅

晴天である。

津南駅は「駅の温泉」が売り。温泉が併設されてる駅って他にあるかな。誰があみだしたアイデアなんでしょう。

自転車
購入後、故障もない。空気も入れていない。変則無しだから、すべてが人力頼みのチャリ

駅の駐輪場に預けおいた自転車を引き出す。点検するに故障の箇所はどこにも見あたらない。頑丈そのもの。マイチャリきょうも一緒によろしく、と安全を頼む。

地形図を眺めると左岸はけわしそうだ。川が大きく蛇行している。

岨滝(そだき)トンネルという名のトンネルがある。名からして険阻な感じがする。そもそも道路らしきものがない。飯山線は崖際を走っている。

そんなことから右岸をゆくことにし、いったん信濃川橋を渡る。

津南は河岸段丘に開けた町だから坂がきつい。

橋を渡ってすぐ右の畑中の道に入ってみた。うねうねと農道が続く。対岸は岨滝トンネルあたり。右岸も川沿いは険しそうだ。道は中津川橋の近くで国道に合流していた。

途中、熊野社の境内に石仏が集められてあった、中に信濃に多い双体道祖神。

中津川橋

信濃川の支流・中津川が流れ込む。

中津川橋

中津川橋  信濃川支流。中津川の上流奥地が秋山郷だ地震で有名になった栄村エリアで、新潟県と長野県の県境をまたぐ一帯をさしている。

秋山の民俗を記した鈴木牧之『秋山紀行』は愛読書である。その紀行をもとに一帯を歩いたことがある。その記録はこちらから!

橋を渡ると国道は川すれすれに走る。地形的に余裕がなく険阻なことがわかる。

雪崩や落石、土砂崩れから道路を守るためのスノーシェードが配されている。

スノーシェード

国道は500メートルほどを大倉トンネルでぬけている。冬季の雪崩多発地帯だ。

信濃川

トンネルをぬけ芦ケ埼乙という集落を過ぎるとどう読んでいいのか迷うような地名が続く。アイヌの集落にでもありそうな名前のものもある。


小下里(こさがり)という集落もそう。津南町芦ヶ崎 小下里、ヶ崎の枝村だった。

田中橋
田中橋

信濃川まで150メートルほど離れているが、田中橋を撮影にゆく。

田中橋  県道 小千谷十日町津南(49号)線。昭和54年(1979)11月開通。長さ=154.0メートル。かつては「田中の渡し」があった。

そのまま橋を渡ると田中で「越後田中駅」がある。

信濃川

ふたたびもどって国道117号をゆくことにした。

川の淵は深いのであろう。青々と淀んでいる。

信濃川

アイヌ語にでもありそうな反里(そり)という名の集落。古くは「楚利村」といったようだ。

反里

350メートルほどのトンネルを抜けると灰雨(はいざめ)というところ。「灰鮫村」との記録もあり、ますます地名の由来がぼやけてくる。

灰雨

灰雨には東北電力灰雨発電所がある。昭和4年(1929)11月から運用開始という。

発電所

建屋は国道117号の脇に設けられ、道路より一段下がって川沿いにある。

足滝入口から100メートルほど千曲川に向かうと上郷橋。渡ってそのまま行くと飯山線「足滝駅」。新潟県側の最後の駅。信越の県境が近くなる。

上郷橋
上郷橋

上郷橋
町道 ・今井足滝線

上郷橋(かみごうばし)  町道 ・今井足滝線。足滝・今井を結んでいる。昭和52年(1977)11開通。長さ104.メートル。古くは「足滝の渡し」があった。

戻ってふたたび国道をゆく。しばらくすると雪崩や落石、土砂崩れから道路を守るために作られ大がかりなスノーシェードがある。

国道

信濃川

道路沿いに目立つ看板。城址への標識。

今井城址  古くは木曽義仲に仕えた今井兼平の居城であったとか(『中魚沼郡誌』)。戦国時代には上杉氏の勢力下にあり、慶長3年(1598)の上杉景勝の会津移封に伴い廃城となったという。

子種

子種(こたね)という集落。対岸は寺石で、かつては「寺石の渡し」があったそう。

宮野原発電所  東北電力の発電所で、昭和3年(1928)からの稼働というから灰雨同様に古い。

宮野原発電所

ここも建屋は国道より一段下がった川沿いにある。

次いで上郷宮野原に到着。

聞く人もいない。曰くありそうな家屋の佇まいがひと際人目をひく。

このさきで国道117号は最後の信濃川を渡る。発電所の約800メートルほど上流が県境だ。

地図

信越県境の橋・宮野原橋~この橋より上流は千曲川、ここより下流河口まで信濃川。

宮野原橋 

宮野原橋   国道117号。新潟県中魚沼郡津南町大字上郷寺石字羽倉 ~ 大字上郷宮野原字宮野原。長さ224メートル。昭和60年(1985)8月架設。

宮野原橋 
宮野原橋

正式な境界線はもう少し先になるが、この橋を県境の橋と呼ぶこともある。

千曲川

信濃川は宮野原橋を過ぎると上流にかけ名を千曲川にかえる。

県境

橋を渡るとすぐに信越の県境。800メートルほど進むと「役場入口」の交差点。近くに長野県栄村役場があり、「役場入口」から北東へ森宮野原駅への道が通じている。

栄村  長野県の最北端に広がる村。ただし最北端の地点は栄村と飯山市との境界未定地域となっている。千曲川が県境で名を「信濃川」に変えるところだ。新潟・長野県境地震で一躍有名になったむきもある。

*新潟・長野県境地震 平成 23年( 2011) 3月12日 3時59分ごろ、長野県下水内郡栄村と新潟県中魚沼郡津南町との県境付近で発生した地震。信越地震ともいう。被害が甚大だった栄村ではこの地震を栄村地震と呼んだりする。

森宮野原  長野県側の地名「森」と新潟県側の地名「宮野原」を組み合わせたもの。栄村の 中心部。

森宮野原駅  飯山線の信越県境近くにある長野県側の最初の駅。「日本最高積雪地点」の標柱が立つ。戦時中の昭和20年(1945)2月12日、7.85mの積雪を記録した。

森宮野原駅

森宮野原駅  駅舎では方言が人を出迎える。「また乗ってくんねかえ」(また乗ってください)、「よらっしゃれ」(寄ってください)。長野県でもこのあたりのコトバは越後方言だ。

栄村r役場

道路沿いに栄村役場駅前は南側が栄村の中心市街地(昔の森地区)。 

道の駅

大型の「道の駅」がある。


これからは千曲川の左岸をゆく。

飯山線の踏切を過ぎると国道はしばらく線路を左に見ながら平行して走る。

長野県は双体道祖神が多いところですが、それがこんな山里にも及んでいたのですね。

栄大橋

栄大橋

千曲川支流の中条川に架かる栄大橋。下を飯山線が走る。

絵看板
この絵看板に助けらた

このさき国道117号は青倉トンネ(700メートル)、ついで横倉トンネル(1033メートル)と、長いトンネルでぬけなければならない。飯山線は第二横倉トンネルの上を走っている。

という具合で、片側に自転車が通れる歩道スペースがあるというものの、危なそうなので迂回することにし、橋の手前120メートルほどのところで右斜めの道路に入ることにした。

中条大橋

中条川に架かる中条大橋。青倉地区の人々と栄村の人たちが行き来する生活道路。

栄大橋
中条川に架かる国道の栄大橋

道はかつての国道のようだ。交通量もほとんどないので落ち着いてサイクリング。このあたり千曲川が大きくS字形をして流れ、川辺には全く近寄れないところだ。

旧道から国道のトンネルを見下ろす。

自転車
人力で漕がないと、ここまでこれなかったチャリを,フトみつめる

牧歌的な横倉の集落が望める。

翌倉駅

途中に横倉駅がある。

旧道は横倉集落で長野県道407号(長瀬横倉停車場線)に合流する。分岐点からここまで3キロほどあった。

分岐点

右へ県道407号に入る。

百合居橋  長野県道407号・ 長瀬横倉停車場線。長野県下水内郡栄村大字堺字箕作~ 大字豊栄字横倉の千曲川に架かる。昭和36年(1961)6月開通。長さ135.メートル。

千曲川

対岸は箕作の集落で、かつて「平滝渡し」が通じていた。

百合居橋 

百合居橋から右岸に渡り県道408号をゆく。

道路標識

長野県道408号・箕作(みつくり)飯山線 長野県下水内郡栄村と飯山市を結ぶ般県道。国道117号とは反対に、起点付近から下高井郡野沢温泉村東大滝までの間は千曲川の右岸を、下水内郡栄村大字豊栄字白鳥から終点までの間は千曲川の左岸を走行する。

箕作の集落
いまも火の見櫓が防災の守りとなっている。

奥信濃の陽明門とも噂される古刹をたずねる!

長野県下水内郡栄村 にあるという、うわさに聞いていた古刹に寄ることにした。県道408号沿いの栄村の箕作集落にある。

千曲川を渡った対岸の河岸段丘状のところに建つ。そこまでの道はまさに里の道。このようなところにこんな大きな寺があるとは思いも及ばなかった。大寺をかかえた山里の生活はどんなものであったろう。あまりの落差に想像が及ばない。

常慶院 山門
仁王門をくぐると、数百年を経た老杉の間に山門が見える。その重厚さには思わず絶句
常慶院 扁額

百合居橋を渡ったところから傾斜地を上って600メートルはあろうか。横倉駅から徒歩15分ほどのところだ。

常慶院 

常慶院  曹洞宗で、山号は金華山。奥信濃では類まれな大寺。

鎌倉時代まで当地の地頭職にあった市河氏の開基で、現在の地に移されてから三百余年。慶長3年(1598)、市河氏が会津に移封された後、旧城址であったあるこの場所に移されたと言われる。

常慶院 
常慶院 老杉

信越随一の名刹。信越両国から信者を集める大禅林であったという。

常慶院 杉並木

杉並木の参道から本堂に至る。

石段

常慶院 

 静寂な寺。夏の陽ざしが照りつけるが、なぜか涼しい。

常慶院 

入母屋造りの三間楼門は手の込んだ彫刻が施され、二階には匂欄をめぐらしている。

常慶院 
「奥信濃の陽明門」と呼ばれた豪奢な彫刻

 仁王門には仁王像が安置され、山門は、茅葺入母屋造となっており、善光寺以北数十里の間にこれだけの山門のある寺はないとか。

本堂は、元禄3年(1690)に再建され、本尊・木造釈迦如来が安置されている。

*市河氏  甲斐国市河荘が発祥とされ、主に信濃・越後の国境に近い奥信濃に勢力を張った武家の一族。                


 寺からふたたび百合居橋にもどり左岸の117号をさかのぼることにした。

地形的にはこのあたりから線路・道路・川が寄り添うように、つかずはなれず、狭隘な谷間をうねうねと続いている。

地図

長野県は平成23年(2011)3月12日に起こった、長野県北部地震後の震災復興事業として飯山線の箕作~ 明石間の千曲川に以下の2橋を架橋した。それまでは百合居橋~東大滝橋の間に橋がなかった。

箕作平滝大橋  長野県道408号(箕作飯山線)。長169.0 メートル。箕作 ~ 平滝に架かる。平成29年(2017)11月15日開通。

明石大橋  長野県道408号箕作飯山線。長さ159.1 メートル。平滝 ~ 明石間に架かる。令和2年(2020)11月9日開通。

千曲川

スノーシェード。

長く続くスノーシェード。

余裕のないところに道を作っているわけだから常に自然災害にみまわれる。

スノーシェード。
「左側通学路」だって!怖い!

多くは雪害よけ。屋根付き道路のようなものだ。

トンネル

集落

白鳥大橋  長野県栄村豊栄白鳥の国道117号線長野県道408号箕作飯山線に架かる橋。谷で分断されている村内を結ぶ重要な橋となっている。

六地蔵

珍しい。三体,三体の六地蔵。

信濃白鳥の集落のたたずまいと用水路

信濃白鳥の集落のたたずまいと用水路。

のどかな信濃白鳥駅。

分岐点

駅を過ぎたあたりで東大滝橋の撮影のため国道117号入る。

信濃白鳥

白鳥の集落

千曲川の右岸を走ってきた県道408号は、東大滝橋の近くで左岸に移り、ここから終点(飯山)まで千曲川べりを行くことになる。

この左岸ルール上の途中に、どうしても寄らねばならぬところがあった。

東大滝橋

東大滝橋 国道117号。下水内郡栄村大字豊栄字白馬~長野県下高井郡野沢温泉村大字東大滝 。長さ530.0メートル。千曲川を斜めに渡河している。この先にある西大滝ダムの約1キロ下流、北信から栄村への入口にある。

ここまできて、秋山郷をふくめ、あらためて栄村の広さに、広いな~と驚く。

スノーシェード
ここもまた雪崩防災のスノーシェード

線路と道路と川が接近しひと束のようになる。そのさきに東京電力の西大滝ダムがある。

西大滝ダム  津南町鹿渡にある信濃川発電所に送水し、最大出力16万5,000kwの発電を行っている。

着工・昭和11年(1936)着工 /昭和14年(1939)竣工

左岸/長野県飯山市大字照岡字三十苅・右岸/長野県下高井郡野沢温泉村

ダムと巨木
あのころから、どれくらい成長したのか、古木がダムに覆いかぶさる

悲哀を奏でる千曲川。寄り添ってしのぶ昔!

姉の死を飲み込んだ千曲川。

昭和45年(1970)6月、梅雨の晴れ間のことだった。

西大滝ダム

姉の遺体がが見つかった西大滝ダム堰。

事故現場から18キロほど下流にあたる。

説明板

広場

さくら広場  ダム左岸。東京電力が設けた桜の公園。樹齢60年の桜(ソメイヨシノ)140本余りが植樹されており、毎年4月下旬から5月上旬にかけ咲き乱れる。長野県内有数の桜の名所となっている。

この直線道路で事故が起きた。

すぐ横を走る線路と千曲川の間を、狭い道路(旧117)がほぼ直線で通じ、ずっと先で緩くカーブしている。

事故現場
転落の現場はこの辺りだった。高い草木はなく千曲川が目の下を流れていた

追い越しを駆けられたトラックに乗用車のバンパーをひっかけられ車ごと千曲川に転落した。

昭和44年(1969)7月、婚約間際のドライブの折のことだった。

とある家のおかみさんは事故のことをよく覚えていて、その現場近くまでお伴してくれた。50年ほど前の出来事だから、若かりしころの記憶ということになろう。

「みじょげだった、みじょげだった」そう何度もつぶやいた。(「みじょげだった」方言で「可哀そうだった」)

「もってけ々。あげてやんな!」おかみさんがそういいながら庭先の花を手折ってくれた。わたしも目頭を熱くしながら手折った。合わせると立派な花束になった。抱えると嬉しさと悲しさが一気にこみ上げた。

千曲川

梅雨どきで千曲川は濁流だった。木々はその後に生い茂ったものだろう。

千曲川

数日間、遺体のあがらぬ千曲川をじっと見つめてすごした。

5日目のこと。下流の堰で遺体が見つかった。

遺体に損傷はなく、水も飲んでいなかった。おそらくは即死のまま、ドアの外に投げだされたのだろうというのが、検死の結果だった。

夕暮れどきの千曲川
夕暮れどきの千曲川

不思議なことに、姉の遺体がリンゴのような甘い香りを放っていたのだが、あれはいったいどうしたことだったのだろう。その香りと記憶が無残な遺体とともに忘れられないでいる。

この旅をやろう。そう決意させたことの一つがここで実った。

少し風がでてきた。もうすぐ山の肩に陽が落ちる。

ふりかえるたびに、事故のあった遠い夏の日が、一枚々のネガのように蘇るのだった。そのときの千曲川もまた…。

飯山市内でとまることにしていたので、近い最寄駅の「桑名川駅」まで自転車を走らせた。

桑名川駅

駅前から少し離れたところにある無料の駐輪場にチャリを預け、飯山線で飯山駅へ。

飯山駅前からタクシーに乗り、市内中央の古い町並みの通りに面してある、老舗旅館「ほていや」に投宿。

島崎藤村も宿泊した宿である。

続く。

次回までしばらくお待ちください。

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