歩けなくなる!という心理的な怖れは東日本大震災と二重映しになって想起されたりする!
ありませんか。
ひょんな時に思うこと。
歩けなくなる。歩けなくなったとしたら。というようなこと。
健常者なら、歩けることが、あたり前すぎて、常日頃こんなことを考えることはないと言えるでしょう。
何かの障害が身に及んだ時だったら、動けなくなるとか、歩けなくなるという意識を持つかもしれませんね。
その思いは詰めると時に怖気づいてしまうこともあります。
「歩けなくなる」。と断定したら、想像しただけでちょっと身震いしてしまいます。
生活上「歩けなくなる」ということ深く考えたことありますか?先ず普通には考える必要のないことですね。
歩けなくなる日常をマジに深く考えたことがありますか!
わたしの場合、あったそのことが東日本大震災と重なっています。
まさに大震災、発生のその日。その時の回顧の記憶です。
その日、2011年(平成23年)3月11日(金) 、わたしは横浜の山下公園の近くにいました。
名古屋・中日文化センターの野外講座で、名古屋から生徒が見えていました。
横浜の港を案内し「横浜開港資料館」の見学を終え裏庭から開港広場に出た途端、グラッときました。
高いビルが大きく左右に揺れていました。それが交差して、いまにもぶつかるじゃないかと思えるくらいの大揺れでした。噴水が左右に飛散、乱舞していました。それが 14時46分18.1秒に発生した東日本大震災の揺れでした。
以後、電車は全てストップ。
開港広場から横浜スタジアムのほうへと移動。
避難所の横浜スタジアムへと人が続々と集まってきました。
その後。徒歩とバス乗り継ぎを数回繰り返し、なんとか新幹線の新横浜駅に到着したものの、新幹線も東海道線も全線がストップ。動きがとれないまま構内で数時間の缶詰め。
唯一、零時過ぎに浜松止まりの最終が一本出るという情報を得て、それでもいいという納得をもらい、生徒を無事に送りどけて胸をなでおろしました。
駅構内にあるテレビの大型画面には炎上する凄まじ映像が映し出されていました。
電車が動かないので帰るに帰れない。新横浜駅の構内で配布された毛布にくるまり、一夜を明かしました。
とてつもなく底冷えのする日でした。
事態はその二日後に起こりました。
朝起きろうとしたら左腰に激痛が走り立ち上がれない。
力を入れると左腰に痛烈な痛み。
いつ止むとも思えない神経に触る痛み。
連日連夜,それは治まることなく続きました。
考えられるのは、構内で夜を明かしたとき、腰を冷やしたからにほかならない。
が、そもそも足腰も弱っていたのかもしれない。日頃、足腰を安易に用いていたから、起こるべくして、起こるタイミングがあの日だったのかもしれない。
不自然になった体への警鐘だったかもしれない。そんな気休めで気を慰めたりしてみました。
仕事が手一杯で病院にゆく時間もなく、湿布薬を貼りすごしました。
週に何回かマッサージに通ってみましたが、それはひとまずの気晴らしにしかなりませんでした。
病院にゆくと良からぬことになりかねないので、それを避けていたのが本音かもしれない。
いろんな情報をかき集めた上の自己診断で、坐骨神経痛か、脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)ではないかと疑いました。いづれにしても、このどちらかであろうが、結論でした。
ここでもわたしの無謀さで、慌てず騒がず医者に頼らずで、大方のところは自力にまかせました。
情報をこまかく探ってゆくと、足腰の状態からして脊柱管狭窄症ではないようなので、ともかくは急性の座骨神経痛ととらえました。正式な見立てではないから、今にしてあれが何の痛みだったかわからないでいます。
駅の階段の上り下りは手すりにつかまらないと登れない。歩くことが仕事の中心だから歩かないわけにはゆかない。
痛みをこらえ歩くと、そのときだけは、いっとき痛みをわすれるのだが、解放されるとたちまち痛む。
もう歩く仕事は出来なくなるかもしれないな。そんな非情な心情が走る!こんな痛みが長く続くなら死んだ方がましとか思えるくらいの、言うに例えようのない激痛の連続。
あの痛さは体験した人でないとわからない。言い表せない痛みです。
歩けなくなるのが何より一番怖い!脅し文句にも似た心の悲鳴に夜な夜な襲われました。
歩けなくなったらどうなるんだろう。歩けなくななったら、もう俺の人生おわりだな。そんな苦慮と不安と恐怖が交錯するばかりの日々だった。
何にもまして恐れたのは、歩けなくなるという、そのことでした。
体のもつ自然治癒力と気を最大のクスリとして痛みを慰めた日々!堪えて越えて今があり、今日がある!
ところで。わたしには、自然治癒力が勝っていると信じ自負するところがあります。
これまでも、そんなことで病状や病らしきものを乗り越えてきた節が多々あります。
*自然治癒力 人間・動物などの心身全体が生まれながらにして持っている、ケガや病気を治す力・機能を広くまとめて指す表現。手術を施したり、人工的な薬物を投与したりしなくても治る機能のこと。「自己治癒力」とも呼ばれる。
(Wikipedia)
つまり、自然治癒力とは失われたバランス、調和、平衡を取り戻そうとする、からだに本来備わった働きと言われています。生命力には、病を癒し、バランスを回復しようという内なる治癒力があるとされています。
長年、主治医をしてもらっているご高齢の先生のいうことには、ひとこと、「痛みが起こらないようにすればいいんだよ」と。「起こらないようにすれば、自然に痛みが治る」と。ごくあたりまえのようだが、これは効いた。
加えて、自分で治す気にならないとなおらないよとも。きつく諭された。
気が薬ということだろと解し、自然治癒力を介して治しなさいとも取れた。
どれもなるほどと頷けるところがあり、連日それを実践しました。まるで苦行、修行のようなものでした。
インターネットの情報は溢れているがみな似たり寄ったりのものばかり。中にはコケ脅しのものもあり、霊感まがいの治療法もあったりしました。
中で実践しやすく、大いに納得できるものとして、「徹底的に温めろ」というシンプルな処方が気にいりました。ともかく何でもいいから、常に患部を温める。
そしてこれが間接的に一番功をなしたような気がします。お蔭でホカロンを貼りすぎ軽症火傷をしてしまいましたが…。
そうこうしているうちに、痛みも薄らいできて、いい予兆も感じました。
そして、半年ほどした、ある日、それは実に突然来ました。痛みが消えたのです。
おそらく、治まるべくして治まるタイミングがその日だったのかもしれません。
ここでもわたしの信念とする自然治癒が勝ったように思えたのでした。
一気に青空が開けたようで、心が晴れ晴れとしました。
熟睡できる日々がもどりました。
歩けるまでに回復した足腰に感謝しました。
発生してから、歩くことを欠かさずに続けてきた自分をあらためて自負し、ジレンマに悩まされながらも、辛抱強く歩いてきたらばこその回復だったと痛感しました。
再発するのじゃないかという疑念がともすると脳裏をかすめますが、トラウマにはならぬようにしています。
常に用心の念は持っていますが、今日までそれらしい兆候はありません。
今のところ、大丈夫だという自信は持てています。
だが、これからは寄る年波という、避けれない関門を通らなければなりません。それがどのようなことになるのか。それに影響をもたらさないか。それが今の課題です。
人間には、一歩も歩けなくなるという日がいつかは来るでしょう。
しかし、その日が来る前に歩けなくなるのは嫌ですね。
これからはそのあたりを心掛けて歩こうと思っています。